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【息子くん】小学校入学から卒業まで

2014年05月10日
2006年 平成18年 4月 【息子くん】小学校に入学。

入学後、すぐに発熱で欠席…その間に班決め、自己紹介なども終わり、みんなが落ち着いた頃に登校。
いつもこんな感じでタイミングの悪い【息子くん】。

また担任の先生が…学年主任のおばちゃん先生で厳しくって。

休んでしまって、輪に入りにくいだろうと思ってフォローをお願いした私に先生は一言。

『こちらからは声掛けしません。自分から発信できる子供に育てるのが私の信条です。』

え?……信条はわかります。
わかりますが、これは高学年ではなく、つい何日か前まで保育園に通っていて、その小学校には保育園からのお友達は一人もいなくって…
病み上がりで、輪に入れないであろうと心配している1年生の保護者に対しての先生のお言葉とは思えず。

結局、何日経っても自分から発信できず、どうしたらいいのかわからず、ちょっかい出すことで周囲にアピールする事しか出来ない【息子くん】。

もう一度、先生にお願いしましたよ。
先生の仰ることはよくわかりますが、なんとかフォローお願い出来ませんでしょうか?と。
しぶしぶやってくれて自己紹介は一人でやらせて貰ったようですが…。


クラスの女の子のノートに「デブ」と書かれた事件。

先生から即、私に電話。
『犯人は【息子くん】でした。最初は知らないと言っていましたが、私が根気づよく話して自分がやったと認めました!』

学校は警察ですか?
しかも、この事件、犯人は【息子くん】ではなかったんです。
むしろ【息子くん】も被害者です。

その女の子と同じ保育園だった男の子がやったと親に話、親から先生に伝わりという流れでした。
その親御さん、ご丁寧にうちにも連絡をくれまして、私はそれを知りました。

結局先生からの詫びもなく、連絡すらありませんでしたが。

そこで、私は怒るべきだったのかもしれません。
ただ、息子の言動に落ち着きのないことを、このころからなんとなく意識していた私。
下手に怒って、先生を怒らせ、【息子くん】に対してきつくされたら可哀想とか思ってしまい何も出来ませんでした。


その後も、【息子くん】はいろいろ本当に問題を起こしてくれました。

ただ、それは本当に悪質な、嫌がらせとかそういうことではなく…
(もちろんお相手の方の言い分は違うとは思います。)
一昔前のやんちゃな子といったようなことです。

隣の女の子の消しゴムばっかり借りる、
授業中ちょっかいを出す、
給食中に笑わせる、
近所でピンポンダッシュする、
学校の登ってはいけない木に登る、
女の子の鞄を持って逃げる(もちろん返しますけど、しつこいんです)、
先生が話しているのに友達と私語をする、
男の子どうし、つかみ合いの喧嘩をする、

などなど。

そして、そのたびに【息子くん】には悪のレッテルが貼られていき、自宅に相手の親から電話が掛ってくることが頻繁になりました。
私はそのたび謝り、【息子くん】を怒る。
悪循環です。


また学校で事件です。
担任の先生が授業中、何の流れか知らないけれど、こんなことを言ったと【息子くん】が帰宅してから教えてくれました。


『これから先生が質問するのでそうだと思ったら手を挙げてください』と
『【息子くん】の事、嫌いな子は手を挙げて』
手の挙がった子にその理由を言わせる。

『【息子くん】の事、好きな子はいる?』

クラスに人気者の男の子がいました、背も高くって、スポーツ万能、頭もいい。
その男の子、

『おれ、こいつ好き。だって面白いし、いいやつだから!』

【息子くん】はそれが嬉しくって、その報告を私にしたようです。
その子のおかげで、みんなもなんとなく、確かに面白いし、ちょこまかしてて遊んでも楽しいという事に落ち着いたようで、ことなきを得た様ですが…


先生、それは先生が発信するいじめですよ?教育委員会に訴えることも出来たんですよ?

今ならそう思えますが、そのころの私、勇気もなかったし、何か言って息子にきつくされたら…とか、実際私が【息子くん】に疲れていたのかもしれません。

結局何も出来ず、【息子くん】を守ってあげることも、【息子くん】の味方になってあげることも。




2007年 平成19年 4月 【息子くん】2年生に進級。

【息子くん】2年生も1年生から持ち上がりでクラスメイトも担任の先生も変わらず。

そして何より【息子くん】も1年坊主の時と色んな意味で全く変わらず。相変わらずの毎日。

学童クラブの先生からも、『今の時代じゃなく、昭和初期に生まれてれば問題にされることもなかったのにね、生まれる時代を間違えてしまいましたね』と。

うん…まあ釈然とはしないが否定もできず。確かにそうかも…




2008年 平成20年 4月 【息子くん】3年生に進級

初めてのクラス替え。同じクラスになりたかった子と一緒のクラスにはなったけど…

クラス担任はまた年配の、学年主任のおばさん先生。

この頃から内面が伸びていく子はどんどん伸びる。
でも【息子くん】はなぜか後退しているかのよう。
なぜなら周りがどんどん成長していくから余計に言動が幼く見えてしまう…

ある日、1・2年の時の担任と現3年の担任が2人して夜、訪問されました。

何かと思えば【息子くん】が万引きしたと。
友人と2人でスーパーでカード付のお菓子を万引きしたというのです。

その友人は優等生。【息子くん】が何か言ったら聞くというような関係ではなく、むしろ…

万引きしたのは2年生の頃だったという話でした。

学校ですでに事情聴取はしましたと先生。

優等生君は【息子くん】が誘ったから仕方なくやったと。
【息子くん】は先生がいくら聞いても返事をしなかったので、やったのね?認めなさいと言ったら認めたので。と。
犯人は【息子くん】です。優等生君は断れなかったのは悪いけど、誘った【息子くん】はもっと悪いと先生は仰いました。

今、思えば【息子くん】は返事をしなかったのではなく、状況が理解できず、説明できずに黙っていた。
黙っていたらやったのね?と言われ、それも自分なりに整理しようとしたけど出来ず黙ったら認めたとなった…のではないかと推測されます。

あ、もちろんやったことはいけない事です。
親子で話し合いもしましたし、叱りましたし、泣きながら息子を平手打ちしましたね。
スーパーに出向き、謝りました。

ただ、この頃は発達障害という認識が全くなかったので…

言葉で自分を表現する能力が非常に低い【息子くん】にとってはこの状況で弁解や説明は100%に近い数字で出来ない。
【息子くん】きっとどんどん追い詰められていったのだと思います。

2年生から始めた野球も、少年野球チームではいつも落ち着きなく周りにちょっかい出して遊んでしまい…
注意されてばっかり。最初はちょっかいに乗っていた子供たちもだんだん成長し乗ってこない。
いつもいつも監督コーチに怒られる。

でも、【息子くん】を病院に連れて行こうとは全く思わず。
落ち着きのないやつ、大丈夫!?といつもこちらもイライラしていました。




2009年 平成21年 4月 【息子くん】4年生に進級

クラス替えはなく、やはり同じ担任。

何とか【息子くん】とうまくやろうと考えたのか、【息子くん】と先生がうまくいくようにと余計なことを考えたのか、今となってはよく覚えていませんが…
年度最初の保護者会の役員決めで『学年委員』に立候補し、1年間、私、【さくら桜】がクラスの役員をすることになりました。

相変わらずの毎日。同じクラスの保護者の方から、お宅の息子がうちの息子(時には娘)に!!といった電話はしょっちゅう。

学童クラブが3年で終了したので、4年からスイミングに通わせたのですが、
そのスイミングスクールの先生からもしょっちゅう連絡がありました。

あんなこと、こんなこと、とにかく困るんです…的な連絡。

丁度、私【さくら桜】も会社の上司がすごい人で、疲れていたのもあり、どんどん精神的に疲れていきました。

そうなると、家庭もギスギスし始めるし…
悪循環です。


この【息子くん】4年生の冬、わたし【さくら桜】の友人家族と確か2泊3日くらいでスキーに行きました。
このスキー旅行の話はまた、いつか…


スキー旅行から帰ってから、【息子くん】に変化がおきました。

★少年野球チームの練習に行かなくなりました。

理由はは腹痛だったり、頭痛だったり、ソックスがうまくはけないグズリからだったり。


パパと【さくら桜】はサボりだと思い、大ゲンカして行かせる様無駄な戦いをしました。


★学校に行かなくなりました。行ったり行かなかったり。

理由は上記同様。

そのうち起こすと暴言・暴力が出る様になり、そしてほとんど行かなくなりました。
蒲団から引きずり出そうとしたり、喧嘩したり、なだめたりすかしたり…

学校に行かない日、こちらもストレス。【息子くん】もストレス。イライラしてぶつかることも多く…
学校に行かない日の暴言暴力は当たり前に。

【息子くん】のそんな行動に【娘ちゃん】も怖くて泣く。
【パパ】は【息子くん】を威嚇する、【息子くん】の暴力は【さくら桜】に向く…

毎日毎日、地獄みたいでした。



今も残っている、そのころ【息子くん】が使っていた毛布。首に当たる淵の部分が全部噛まれてすり切れています。
きっと、自分でもどうしていいかわからず、困って、困って、困っていたんでしょうね…
どうしていいかわからないその気持ちの表れが毛布を噛むという行為だったのかもしれません。


かかり付けの小児・内科医の所で見た『心の相談医』という免状。
もちろん私が再婚する前から診て貰っているお医者さんだったので【息子くん】と【パパ】の関係も知っていました。
かなりぶっちゃけて相談してみました。
勿論、息子も一緒に通院しました。

いろいろあって、児童相談所に相談したほうがいいというアドバイスを受け、相談しました。
【息子くん】本人とも話をしたいと児相がいうので、心の相談医の診察が月曜だったのでその日に設定しました。

2010年4月5日 児相と【息子くん】が話す間、外に出て待っていた私。
話を終えて、【息子くん】が児相の職員と出てきました。
児相の職員は一言。
『このまま【息子くん】は保護所に保護しますので【息子くん】も了承しています』

帰りに二人で花見をするはずだったのに…
二人で夕食は大好きなそばを食べて帰ろうって約束してたのに…
もうすぐ、5年生の新学期だったのに…あと2日だったのに…

約束してたのに…涙が止まらないわたしに【息子くん】は言いました。

『おかあさんの事、大好きだから、泣かないで。またすぐ会えるから!』

丁度、今から丸4年と1か月前。
あの時の事を思い出すといまだに涙があふれます。




2010年 平成22年 4月 【息子くん】本来なら5年生に進級だったはず、保護所で過ごす。


5月末、児童養護施設に入所が決まり、保護所から施設に入所しました。
保護所にいる間に、心理判定を受けたらしく、初めて【息子くん】はADHDですと言われました。

ADHDって何?っていうのが正直なところでした。

そして、【息子くん】が施設に入所という状況も【さくら桜】は受容できていませんでした。
毎日、泣いて過ごしていました。


でも、確かに、【息子くん】に小さいころから育てにくさは感じていたのは事実でした…


施設に入ってから、最初は月に1回位の面会から始まり、月に一回の外出となり、月に一回の外泊(自宅に泊まる)と外出と、家族統合に向けて会う機会は増えました。
が…、【息子くん】すぐにイライラしたり、我慢できなかったり、暴言が出たり…。
でも家族と過ごしたい、早く家に帰りたい、家族と一緒に生活したい思いは強く、【さくら桜】も【娘ちゃん】もその気持ちは一緒でした。

2011年3月の春休みに施設から出て自宅に戻ることが決まりました。

3・11のあの日、離れている【息子くん】が無事でいるのかどうかも確認できませんでした。
無事を祈って、やっぱり泣けました。


3/25 【息子くん】を引取りに施設に。家族が揃いました。
この頃すでに【息子くん】は薬を服用していました。コンサータだったかな。

やはり落ち着かずに毎日過ごしていました。




2011年 平成23年 4月 【息子くん】6年生に進級

5年生で入るはずだったクラスに編入することが決まる。担任の先生は初めての男の先生。若くてどちらかというとだらしない、お兄さんタイプ。

青春ドラマのように、戻ってきた【息子くん】を仲間に入れるべく、授業をつぶしてみんなで鬼ごっこなんかしてくれて。
【息子くん】が入り込みやすい雰囲気づくりをしてくれました。
保護者の評判はあまりよくない先生でしたが、私は感謝・感謝の気持ちでいっぱいでした。

でも…ふたを開けてみれば、うちからは学校にはやはりほとんど行けず。
5年、施設にいた時には、その区域の学校にきちんと登校出来ていたと。行かれない日は殆どなかったと。

なぜか、家からは学校に行かれない…
学校に行かれないとイライラからか、暴言暴力はエスカレート。
たいていの場合、お前のせいだと【さくら桜】や【パパ】に言って、殴ってみたり。蹴ってみたり。
まだ体も小さかったので大けがにはならなかったけど、私は元ダンナから受けたDVのトラウマで、耐えられず…

それでも日光の林間学校には行きたかったのか、その前後は頑張って学校に行った【息子くん】。
日光にも無事にみんなと行けてよい思い出が出来ました。

その後、学校に行けなかったある日、翌日、放課後友達と約束をしていたので、翌日はどうしても学校に行きたかった。
でも翌日学校で使うものが揃わず、揃わないとダメと思ってしまった【息子くん】。暴れ始めました。

揃わない→学校に行けない→明日学校に行かないと放課後友達と縁日に行かれない。→縁日行きたい→揃わないと…
で、揃わないのはお前が悪いと、母を殴る蹴る。暴言を吐く。

【さくら桜】の我慢の限界を超えてしまいました。

以前から、危険を感じたら警察をと児相からは言われていましたが、警察を呼んだことはなかった。
でも【さくら桜】は我慢の限界を超え、考える力を失いました。
警察に連絡。長い夜の始まりです。
警察が来るなんて思ってもいなかった【息子くん】。
今度は警察相手に暴言暴力で自分の首を絞めました。

結局、その夜、夜中に【息子くん】は警察に連れていかれ、保護所に。
2011年7月6日のことでした。




2011年 平成23年 9月 【息子くん】現在の施設に入所が決まる。

6年生の途中から、今の施設の区域の学校に編入、無事卒業する。
いろいろあったが、施設からは学校に通える。
たまには休むこともあるが、家ほど顕著ではない。

施設内で、職員に対して家で会ったような暴言暴力がでる。
職員と【さくら桜】の信頼関係もまだ出来上がっていない為、非常にストレスがたまる生活。

何とか無事に施設にて、小学校卒業する。



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2005年 平成17年 【娘ちゃん】 誕生。

2014年05月10日
2005年 平成17年 【娘ちゃん】 誕生。

誕生前に【息子くん】の保育園作品展がありました。
私は陣痛で病院にいて主人が行ったのですが、メールの添付写真に感動して泣きました。

牛乳瓶を再生利用して自分で作った無骨な花瓶。
その中に紙で作ったお花。
お花の花びらには【息子くん】のメッセージ。

『おかあさん あかちゃん ありがとう』

文字がまだ書けなかった【息子くん】。何が書きたいかを伝え、先生が見本に書いてくれたのを見ながら書いたらしく、鏡文字になっていました。
でも気持ちが伝わってきて、嬉しかった。

その作品は色褪せてしまったけど、まだ現役で私の宝物です。
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3歳から5歳まで

2014年04月30日
‘息子くん‘が3歳になる前、私‘さくら桜‘は頑張って倍率の高い、いわゆる職業訓練学校の試験を受け、学校に行くことになりました。
(会社、クビになっちゃったので…子供抱えて母子家庭で生きていくのなら資格が必要!と思ったので…)


そこで今の主人に出会いました。

母子家庭で、もうすぐ3歳になる息子がいることは隠していませんでした。ありのまま。

ある日、彼が『いろいろ大変じゃない?息抜きに息子もつれてどこかに遊びに行こうよ』と誘ってくれて。
子連れデートです。

私としては本気になっちゃいけないのもわかっていたし、本当に息子と自分が息抜きするため位に割り切って、八景島に連れて行ってもらいました。
久々なのと、まあデートスポットなので、その雰囲気にのまれたのは事実です。
その後も、そんな息抜きデートは続きました。もちろん息子もつれて。
そのころは息子も事も彼はすごくかわいがってくれて、息子はどんどん彼に懐きました。

あれよあれよとお付き合いはそんな中、2年続き、まあいろいろあったけど再婚することになったわけです。
ちなみに彼もバツイチ(子無し)だったので、お互い再婚です。

順風満帆ではなく、本当にいろいろありましたけどね…
‘息子くん‘5歳になる年の夏、2004年に入籍だけ、しました。

彼のご両親は、私との再婚には大反対。バツイチ子持ちだから。
で、既成事実がないと説得出来ない?って。

夏、入籍する時点で私のお腹には娘がいました…
【娘ちゃん】、【息子くん】の妹です。

再婚を、赤ちゃんがいることも一番喜んだのは【息子くん】だったかもしれません。






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1歳から3歳まで

2014年04月30日
保育園生活の始まりです。

本当は1歳前にも無認可保育園で見てもらっていましたが、私の父が亡くなったり、いわゆる母子家庭だったので新年度から認可の保育園に入る事が出来ました。

とてもいい先生に恵まれていました。

‘息子くん‘は普通の子供の様に我儘言ったり、やんちゃだったり、適度にやさしかったり、泣いたり、ごねたり・・・いろいろあったけど、それは特にほかの子供と変わりなく、どこの親も同じだった様にイライラしたり、怒ったり、怒鳴ったり、時には叩いたりと日々生活していました。

ただ…他のお友達と比べて、疳の虫がいるのかなと思う位に癇癪の激しい時が多々あり、ちょっと辟易する場面が多かったのも事実です。

保育園の先生からも、特に気になるところはないですが、大好きな先生がほかの子供と話したり、自分のおしぼりや、持ち物を大好きな先生以外の先生が触ると癇癪を起し手が付けられない様な状態になることがあって、今後担任が変わったりすると心配ですねと言われていました。

このころから、拘りが非常に強い子だったと言えるのかもしれません。

そのせいか、私もイライラして‘息子くん‘を怒ることも多かった様に思います。
私の育て方が悪いと思っていたから。
そうでなくても、イヤイヤ!の時期。わかっているようでわかっていない時期。言葉も一丁前にいろいろ言うけど実はちゃんと意味が分かっていない時期…

「もういい加減にしてよ!」「ねえ、なんでわかんないの!?」「たべてよ!」「なんでそれが出来ないの!?」

どんどん、日毎に私のストレスは溜まり、‘息子くん‘に対してもきつくなっていたように思います。
そうして‘息子くん‘もイライラ…

‘息子くん‘が体が弱く、休みと言えば必ず病院の待合室で待つ…仕事は休まざるをえない状況、母子家庭なのに…余裕ないのに…と気持ちの余裕もなくなっていきました。

そして最悪の事態。‘息子くん‘の看病で休みがちだった私、事務員一人の会社だったのでついにクビ!


今でも、その最悪の事態が起きた時の‘息子くん‘の行動が忘れられません。
泣いているわたしに・・・2歳の‘息子くん‘。

息子:『かあか(お母さんの意味)、かあか、なんでないてるの?どっかいたいの?』
私:『クビになっちゃったの…』
息子:『クビ?クビがいたいの?わかった!クビのどこ?ナデナデしたげる!』
私:『・・・』
息子:『クビがいたくてないてたのか~』

クビをさすり、ティッシュを持ってきて涙を拭いてくれる息子を抱きしめたのでした。




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生れて…1歳まで

2014年04月30日
‘息子くん‘が生まれてから、さらに前妻の3人の子との折り合いが悪くなりました。

折り合いが悪いのではなく、私が悪いのでしょう。

今思えば・・・生まれた‘息子くん‘が可愛くて…なさぬ仲の子供たちに愛情を感じなくなったのかもしれません。
そんな私を許せなかったのか、酒乱だからなのか、私への暴力はどんどんひどくなりました。

いつも田舎の一軒家の、その家の庭に、自分が殺されて埋められている所を想像してしまう位に追い詰められていました。

‘息子くん‘にもお湯の入ったポットを投げつけるなどの行為がありました。
やっと長男坊が出来たと喜んでいた筈なのに…

‘息子くん‘に対するそういった行動が始まって…
離婚を言い出しましたが、当然拒否され、暴力は止まらず。

思いあまって、元だんなのご両親に泣きつきました。
最初は全く信じてくれなかったご両親でしたが、あまりにもの私の話、様子を見に来てくれました。

きっとショックだったと思います。
お蔭でなんとか離婚する事が出来ました…
今でもご両親、特に義母には感謝はしています。

私の父は半身不随で、在宅でその面倒を見ながらの‘息子くん‘との3人暮らしが始まりました。
‘息子くん‘がまだ確か生後8か月くらいだったと思います。

その後、父が‘息子くん‘1歳2か月の時に急逝し2人の生活になりました。

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